ちがさき丸ごと博物館

柳島湊

名称 柳島湊 別名
所在地 柳島海岸
概要 柳島湊は相模湾の河口港で、入江のような水たまりで、地形的に恵まれていました。大正12年(1923)9月の関東大地震の時に、河口付近一帯の地盤が隆起したため湊の場所が陸地となり、川筋も変化し湊が消えてしまいました。現在の柳島ポンプ場の辺りが昔の河岸と推測されますが、面影を残すものはありません。
相模川の河口にある柳島村は、相模川水運と海上交通の接点として、極めて重要な地域に位置していた。一見して川縁りで海岸にも面した村であっり、江戸日本橋への距離は陸上で十五里であるが、柳島湊から海上三十里で江戸に通ずるということに意味がある。特になかでも重要なことは、柳島浦の河岸の存在である。川船の発着地としての「河岸」と廻船の発着地としての「湊」を併合した機能をゆうしているのであるから、その存在意味は大きかった。この柳島湊は近世初期から中期にかけて、相模川の流路変更や急速な湊機能の発達により、幾多の問題を生むが、中期以降は安定した発展を挙げている。
代表的な問題として、湊の運用権をめぐっての柳島村と南湖の浜境争論や、柳島村と須賀村の湊争論があります。[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  (根) 茅ケ崎市史④ 通史編 第三章相模川と柳湊  (根)]
イメージ