ちがさき丸ごと博物館

矢畑

名称 矢畑 別名
所在地 矢畑
概要 市体育館の前の道を少し北に行くと、保健所(県合同庁舎)がある。そこから北の一帯を矢畑という。昭和56年の住居表示で、この保健所の一角のみ茅ヶ崎1丁目に編入されたが、他は元の地番を使っている。矢畑の中の字肥地力(ひじりき)に本社山という塚があり、それは鎮守の本社明神社の旧地と言われている。昔、この神社を今の所に移す時、塚に生えていた松の木を切ろうとした。しかし、鋸(のこ)はとおったが倒れない。その夜の大風でやっと倒れ、後、この仕事をした木挽(こびき)その他の人は死に絶えた、という伝説の土地である。また、別の話では、昔、源頼義(よりよし)が東国を攻める時、京都の石清水八幡(いわしみずはちまん)を持って来て、この矢畑の本社山に祭った。その後、頼義の子の義家がさらにこれを隣村の浜之郷(はまのごう)に移し、それが今の鶴嶺八幡社だという。矢畑の地名の初出は、戦国時代の初め文明2年(1470)「やはた 五郎四郎」とある記録だ。その後「谷畑」、「矢端」、「矢畑」等と書かれている。鶴嶺八幡の元の場所が、この伝説のとおりかどうかを今から確かめる事はできないが、矢畑は、「やばた」のほかに「やはた」とも読めるから、鶴嶺八幡の「八幡」を「やはた」と読んで、先の伝説と考え合わせるなら、かつてここに鶴嶺神社があったという話から、このような地名になったと考えることもできる。今、矢畑の南東部は、すっかり工場地帯となったし、このような伝説が伝わっていることを知っている人も少なくなった。
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