ちがさき丸ごと博物館

山下の道

名称 山下の道 別名
所在地 高田1丁目
概要 「山下の道」は、高田1丁目から室田小学校の南まで、現在は暗きょになっている相模川左岸用水路に沿った道です。この道と大山街道との間には、かつて砂丘が続いていて、高いところでは20mを越す山王山と呼ばれた小山がありました。そのすそを通っていたので、山下の道と呼ばれます。この道は明治の地図に見ることができます。その頃の道は田んぼと同じ高さで、今より2mくらい低いところを通っていました。幅は1mくらいで、夏になると草が繁り、人の踏み跡だけが細く続いていました。そして、室田小学校の南の辺りには清水が湧き出ていて、細い川となり田んぼへ流れていました。かつてこの道は、高田や香川の子どもたちが、松林小学校に通学した道(学校道)でした。明治・大正世代の人の中には、夏の短縮授業で早く帰るときに、その小川の冷たい水に足を浸し、小魚を追いかけて道草を食って楽しんだ思い出があるそうです。山下の道に沿った相模川左岸用水路は、昭和15年(1940年)3月に完成しました。用水路は田んぼより高いところを通ったので、山下の道もそれに従って高くされ、広くまっすぐな道になりました。清水が湧き出るところは埋められ、細い川もなくなりましたが、子どもたちにとっては、道を歩きながら相模川左岸用水路にささ舟やちぎった草の葉などを浮かべて、速さを競う楽しさができました。そして冬には、丘の木々が冷たい雨風や雪を防ぎ、通学時間がかかる香川の子どもたちにとっては、ありがたい道でした。また、晴れた日は暖かい上に富士・箱根・伊豆の山々が一望のもとに眺められました。山下の道は、明治・大正・昭和時代の長い間、子どもたちを楽しませてくれた道です。茅ヶ崎に水を引く2つの工事は、上水道が町の発展の基礎となり、相模川左岸用水路は雨水に頼っていた農家を水の心配から解放し、食糧生産・供給の安定に役立ちました。その工事に伴って造られた2つの道は、学校まで遠い道のりを歩く子どもたちにも安心や楽しみを与えてくれたのです。
[文化資料館ブックレット1  あのみち このみち 歴史みち (根)  ]
イメージ