ちがさき丸ごと博物館

弥生時代後期の集落(台地)

名称 弥生時代後期の集落(台地) 別名
所在地
概要 下寺尾の西方遺跡群に広がる弥生時代中期(2000年前)のムラは、後期(1800年前)に入る前に、ムラごとほかの場所へ移動したと考えられます。後期のムラは、西方遺跡群から北へ1400メートルの地点にある芹沢の臼久保A遺跡と、南西に500メートルの駒寄川対岸にある香川の篠山遺跡に見つかっています。 臼久A保遺跡(芹沢) 臼久A保遺跡は、小出川小学校辺りから、文教大学北側を通って西へ延びる尾根の先端に営まれた、縄文時代・弥生時代・古墳時代・近世の複合遺跡です。標高は約41メートルで、西側には急な斜面があり、小出川の低地に続いています。ここは、遠くに丹沢の山々や相模川周辺の低地を見渡すには、絶好の場所です。この遺跡からは、弥生時代の後期を中心としたムラの一部が発見され、47軒の竪穴(たてあな)住居(じゅうきょ)址(し)群と7棟の堀立柱(ほったてばしら)建物址と、それらを囲むと考えられる、断面がV字型の環濠(かんごう)が北と西で確認されました。47軒の住居址のうち、45軒は弥生時代後期のもので、未調査部分を合わせると、かなり大きなムラが営まれていたと考えられます。しかし、2軒の弥生時代中期の住居址も発見されたことから、この遺跡では、西方遺跡群のムラと同時期に、何らかの役割を担った人たちが、細々と営みを続けていたことがうかがえます。調査地点は、現在芹沢配水池になっています。篠山遺跡(香川) 香川駅から北東方向に600メートルのところにある、独立した丘の上が篠山遺跡です。標高は25メートルで、現在はテニスクラブが営まれています。かつて、コートの造成工事中に多量の弥生土器や土(は)師器(じき)が出土したそうです。土器の出土状況から、弥生時代のムラであることは間違いないと思われますが、竪穴住居址などの遺構については、残念ながら不明です。出土した土器は、穀物などの貯蔵用のつぼ、煮炊き用のかめ、お供えなどに使われた高坏(たかつき)など、弥生時代後期に造られたものばかりでした。つぼとかめは、相模湾地域の典型的なものでしたが、高坏は、静岡県西部から愛知県にかけて出土する土器によく似たものでした。このことは、このムラが臼久保A遺跡や他の弥生時代後期のムラとは違い、東海地方の弥生社会と密接な関係があったことを物語っています。
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