ちがさき丸ごと博物館

国民学校

名称 国民学校 別名
所在地
概要 昭和十六年(1941)四月から、尋常高等小学校は、国民学校となりました。太平洋戦争が始まり、茅ヶ崎国民学校では、時間割はあったものの、その通りには授業が行われませんでした。児童たちは、海水から塩を作ったり、運動場を芋畑にして草取りをしたりしました。空襲警報が鳴ると、学校の桃畑に掘られた防空ごうに避難したり、授業もそこそこに帰宅したりすることが多く、教室で落ち着いて授業を受けた記憶が薄いようです。高等科の生徒は、職業教育の意味から学校のぶどう園や桃畑のせん定などをしたり、放課後には看護当番といって高等科二年生が校内を見回ったりしました。また、集団登校の世話や近所の子どもたちの遊びの指導もしました。低学年の子どもの目には、高等科の生徒はこわい上級生と映ることもありました。しかし、運動会での活躍や、器用に遊び道具を作る腕前に目を見張ることもあり、目標にもなりました。終戦後、初めて男女共学を迎えた女子生徒の中には、男子生徒と同じ教室で過ごすのを、とても恥ずかしく思った人もいるようです。一年生から高等科までの八年間、近所でも学校でも一緒に過ごした人間関係のきずなは固く、五十歳代で初めて呼び掛けた同窓会が、二十年近く続いている人もいるそうです。

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