ちがさき丸ごと博物館

宮ノ腰遺跡

名称 宮ノ腰遺跡 別名
所在地 浜之郷(宮ノ腰)506他、(本社)476他
概要 [種別]集落跡
[立地]沖積微高地
[範囲]東西150m×南北450m
[分布状況]密
[現況]畑地 宅地 一部学校
[備考]埋没遺跡
[遺構]竪穴住居址、竪穴状遺構、溝、井戸、集石遺構、Pit群、掘立柱建物址、土壙、溝状遺構、柱穴、竪穴址、土器溜り、落ち込み
[遺物]土師器(古・新)、須恵器(古・新)、かわらけ、陶磁器、土錘、石製紡錘車、木器、曲物、砥石、陶器、石製品(砥石)、管状土錘、鉄製品、動植物遺存体、横櫛、釘、キセル
[保管場所・責任者]茅ヶ崎市文化財収蔵庫 茅ヶ崎市教育委員会教育長
[時代]古墳時代、奈良時代、平安時代、中世、近世

茅ヶ崎市の南西部に位置し、相模湾より北へ2.5km、相模川の東方1.8kmに所在する。北から南下する小出川と国道1号線の北を流れる千ノ川に挟まれた浜之郷地区にあたる。浜之郷地区は自然堤防地帯に該当し、相模川及び千ノ川、その支流などがたびたび氾濫を繰り返し、北側の西久保、東側の円蔵地区を頂点とし、三角状に広がる平坦な微高地が形成されたので、標高は5.0~6.0mを測る。このほか旧河道と後背湿地が広い範囲で複雑に残る地形である。
宮ノ越遺跡は、昭和54年のだ0次調査を皮切りに、現在まで13地点で調査が行われており、遺構密度の高い複合遺跡であることが明らかになっている。
これまでに、第3次調査地点で確認されている溝状遺構が、弥生時代末から古墳時代初頭の遺構の可能性が高く、この時期から本遺跡での活動を窺うことができる。その後も古墳時代後期における集落跡と古墳の存在、平安期の古代集落、中世の活動跡、近世並びに近現代の足跡が土地に刻まれており、市内においてもその密度などから重要な遺跡として認識されている。





[[文献]1980年(昭和55)昭和54年度社会教育(0次) 1982年(昭和57)昭和56年度社会教育(1次) 1983年(昭和58)昭和57年度社会教育(2次) 1986年(昭和61)「宮ノ腰遺跡−鶴嶺小体育館埋蔵文化財調査報告」『茅ヶ崎文化財資料集』10(1次) 1987年(昭和62)昭和61年度社会教育(3次) 1988年(昭和63)昭和62年度社会教育(4次) 1990年(平成2)平成元年度社会教育(5次) 1990年(平成2)第1回発表要旨(〃) 1990年(平成2)「宮ノ腰遺跡1号溝状遺構が意味するもの」『茅ヶ崎市史研究』第14号(3次) 1991年(平成3)平成2年度社会教育(6次・下水) 1991年(平成3)第2回発表要旨(〃) 1992年(平成4)平成3年度社会教育(7次・下水) 1992年(平成4)第3回発表要旨(〃) 1993年(平成5)平成4年度社会教育(8次・下水) 1993年(平成5)第4回発表要旨(〃) 1995年(平成7)平成6年度社会教育(9次) 1995年(平成7)第6回発表要旨 1998年(平成10)平成9年度社会教育(下水) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1988年(昭和63)神奈川県埋蔵文化財調査報告 1991年(平成3)神奈川県埋蔵文化財調査報告33 2002年(平成14)第13回発表要旨 2002年(平成14)平成13年度社会教育(10次) 茅ヶ崎市埋蔵文化財調査報告書25 (根) ]
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