ちがさき丸ごと博物館

別当満蔵寺の鐘

名称 別当満蔵寺の鐘 別名
所在地 赤羽根
概要 「風土記稿」によれば、「赤羽山安楽院と号す、古義真言宗茅ヶ崎村円蔵寺末 本尊不動を安ず 中興を政仁、寛永十三年(1636)寂すと云う」とある。明治初年(1868)の神仏分離令によって満蔵寺(3-9)は廃寺となった。廃寺に伴い、本尊及び法器等は本山の円蔵寺へ移されて境内は畑地となり、別当杉崎氏は還俗(げんぞく)して神職となったと記されている。墓地は大山道沿いの地蔵山にある。安永四年の梵鐘と境内の石灯籠のいずれにも別当赤羽根山満蔵寺と書かれている。神明宮の参道にある梵鐘は昭和三十一年(1956)九月に再鋳された鐘である。その前の鐘は安永四年(1775)のもので、昭和十八年(1943)五月、軍事資材として供出された。
神明宮の最初の梵鐘は元禄八年(1695)に鋳造された。この梵鐘は幾年月を経ずして、幽かな音しか出なくなってしまった。そのため神明宮の別当満蔵寺の住職が多くの信者に呼びかけ、再鋳の運びとなった。当時の寄進者は茅ヶ崎市域外からもあり、江戸をはじめ遠隔地の寄進者は、どのような関わりある人々なのであろうか。この場所は、大山道沿いに立地するので、大山詣での道中に満蔵寺の不動尊に参詣した人も多かったであろうし、中には当地にゆかりの人もあり、鐘の再鋳を積極的に援助したのではないだろうか。[資料館叢書12 「地名が語る赤羽根のむかし」   (根) ]
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