ちがさき丸ごと博物館

君ヶ濱市五郎

名称 君ヶ濱市五郎 別名
所在地 南湖1丁目
概要 かって、南湖一丁目の国道1号線沿いの一角に、「七代目君ヶ濱市五郎 八代目君ヶ濱甚太郎」と彫られた巨大な石碑がありました。その地は、現在はファミリーレストラン及び工場となっていますが、昔は民家や工場などがありました。国道に面した一坪程の土地に、大きな石を数個組み合わせた土台が置かれ、その上に平たい自然石が立っていました。大きさは地面から3m50cmほどもあり、見上げるような大きさで、彫ってある書体も堂々としていました。そのためか、現在でもこの碑のことを覚えている人がたくさんいます。しかし、昭和54年ごろに碑は無くなりました。この碑にある君ヶ濱市五郎(本名・山下市五郎)は、しこ名を志士ヶ嶽(ししがたけ)といい、寒川町宮山の出身です。市五郎は、幕末の幕内力士だった武蔵潟伊之介改め、君ヶ濱の門に入り、明治7年(1874)2月に宮ヶ崎市五郎のしこ名で序ノ口に初めて出ました。幕下までは順調に昇進しましたが、幕内には上がれず、明治23年5月限りで引退しました。その間、明治21年1月に一度十両格六枚目に進んだのが彼の最高位でした。明治16年1月に士子ヶ嶽としこ名を改名し、明治22年1月には年寄君ヶ濱(7代目)を襲名して二枚鑑札(現役のまま年寄名跡を名乗る事)となっています。碑が建てられたのは、大正8年ごろのようです。建立者は君ヶ濱市五郎の長男の山下秀吉と、8代目君ヶ濱の子供の木越勇夫と君ヶ濱太郎、出羽海谷右エ門(元・横綱常陸山)でした。この碑がなぜこの地にあったのかということについては、よく分かってない部分もあるのですが、碑のそばに君ヶ濱が所有する土地があったからとも言われています。[茅ヶ崎ゆかりの人物誌   郷土史学習グループ 一樹会   (根)]
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