ちがさき丸ごと博物館

沼田頼輔

名称 沼田頼輔 別名
所在地
概要 沼田頼輔は紋章学(紋章の意義・由来・伝統などを研究して系図、祖先などを明らかにする学問)の大家で、歴史学者でもありました。慶応3年(1867)4月、神奈川県愛甲郡宮ヶ瀬村に生まれ、昭和9年(1934)11月に、持病が悪化し東京大学病院に入院し、その月の22日になくなりました。享年68歳でした。神奈川県下の小学校長を歴任した後、明治44年(1911)に教職を辞め、上京して山内侯爵家の土佐藩史編集の仕事に従事しました。たまたま山内侯爵に「当家の桐の紋章の由来は」と問われたとき即答できなかったことから、紋章の研究に没頭したといわれています。15年間の研究の末、大正15年に「日本紋章学」をまとめました。また頼輔は、大正12年の関東大震災で茅ヶ崎町の水田の中(現在の下町屋付近)に抜き出た木柱が、相模川に架かっていた橋の橋脚であるとの見解を示しました。頼輔がこの橋脚について書いた文書がありますが、この橋脚は、現在「旧相模川橋脚」として、国指定史跡になっています。また地方史の研究も熱心で、鎌倉大仏、箱根神社、箱根用水の研究等で、次々に新しい見解を発表しました。[茅ヶ崎ゆかりの人物誌   郷土史学習グループ 一樹会   (根)]
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