ちがさき丸ごと博物館

ピストン堀口

名称 ピストン堀口 別名
所在地 本村4丁目(海前寺)
概要 ピストン堀口は、本名を堀口恒男といい、大正3年(1914)栃木県芳賀郡中村(現在の真岡市)で、父清一郎、母カフの長男として生まれました。昭和7年、十七歳の時に上京し、叔父の家に身を寄せ、あこがれの日本拳闘クラブ(東京都目黒区)を訪れました。翌年3月にプロとしてデビューすると、機関車のピストンのように繰り出すパンチで176戦138勝という大記録を打ち立てました。「拳聖」と呼ばれ、東洋フェザー級チャンピオンにまでなった彼の強さの源は、人一倍の努力と、決して後に引かない気力でした。また、現役中の昭和11年(1936)には、茅ヶ崎駅にほど近い幸町のボクシングジムを知人から買い取り、後進の指導にも力を注いだそうです。このジムは現在、国道1号線沿いの南湖一丁目に移り「ピストン堀口道場」として引き継がれています。引退後は、平穏な生活を考えていましたが、半年後の10月24日未明、茅ヶ崎駅近くの線路上で列車にはねられ事故死しました。本村4丁目の海前寺にある彼の墓石には「拳闘こそ我が命」ピストン堀口 と刻まれています。[茅ヶ崎ゆかりの人物誌   郷土史学習グループ 一樹会   (根)]
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