ちがさき丸ごと博物館

川上音二郎

名称 川上音二郎 別名
所在地
概要 川上音二郎は、元冶元年(1864)元旦、博多に生まれました。青年時代から演説が好きで、明治維新後の自由民権運動では、結成直後の自由党に入党し、たびたび政府攻撃の演説をしては罰せられました。その後、大阪で落語家に入門し、浮世亭〇〇(まるまる)と名乗り、「オッペケペー節」で人気を集めました。また、壮士芝居に刺激され「川上書生芝居一座」を明治24年(1891)に結成、二月に大阪堺で旗揚げ公演し、六月には東京に進出しました。明治27年(1894)、日本橋葭町(よしまち)きっての名妓で、日本最初の女優であった貞奴と結婚しました。貞奴は、茅ヶ崎に約三千坪の松林を買い、和洋折衷の家を建て、伊藤博文が「万松園」と名付けてくれました。音二郎が茅ヶ崎に別荘を建てたのは九代目市川団十郎の影響でした。団十郎を崇拝し弟子にと言ったのですが、団十郎に「書生芝居として歌舞伎にはない別のものを持っている。私の弟子入りなどしなくてもよいのではないか」と諭され新派劇に専念しました。音二郎の別荘があったと伝えられている所は、現在の「高砂緑地」で、当時使用したといわれている井戸枠だけが残っています。音二郎は、日本の演劇のために生命を燃やし尽くして、明治44年(1911)病に倒れて、48歳で亡くなりました。出身地の九州博多の承天寺に葬られています。[茅ヶ崎ゆかりの人物誌   郷土史学習グループ 一樹会 ]
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