ちがさき丸ごと博物館

稲毛三郎重成

名称 稲毛三郎重成 別名
所在地
概要 国道1号線の下町屋橋の傍らに、国指定史跡の「旧相模川橋脚」があります。この橋脚は、大正12年9月の関東大地震とその翌年の地震の時に、水田の中から突然姿を現しました。紋章学や歴史学で有名な故沼田頼輔博士は、この橋脚は源頼朝の御家人稲毛三郎重成が、妻の供養に架けた相模川橋(吾妻鏡による)の一部であると考証しました。重成は、源頼朝に従って鎌倉幕府の創設に大きな働きをした人物です。妻は北条時政の息女で、頼朝の妻・政子の妹でした。建久6年(1195)頼朝が京都に上る時、その供をした重成は、途中で、以前からわずらわっていた妻の容態が悪化したという知らせを受けました。帰郷にあたり、頼朝から良馬1頭をたまわり、これを駆って3日後に妻のもとへ帰ることができました。この馬は、まるで飛ぶ竜のごとく速く走ったので、3日黒と名付けられました。妻は間もなく他界し、その死を深く悲しんだ重成はすぐに出家しました。そして、建久9年(1198)妻の追善供養のために、この橋を架けたのです。この年の12月、橋は完成し、頼朝も出席して橋供養が盛大に行われました。頼朝はその帰り道に落馬して、これが原因で亡くなったと伝えられています。重成は、元久2年(1205)子息や弟とともに、鎌倉経師ヶ谷で、三浦義村らによって討たれました。権力争いのため、北条一族に陥れられたものと考えられています。重成は、桓武平氏秩父一族の小山田別当有重の子ですが生年は不明です。秩父一族は、平安時代の末期から鎌倉時代の初期にかけて、武蔵の国に割拠していた武士団の中でも最も強大な同族的武士団で、源頼朝の武家政権樹立に当たっては大きな役割を果たしました。[茅ヶ崎ゆかりの人物誌   郷土史学習グループ 一樹会   (根)]
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