ちがさき丸ごと博物館

高橋鯛五郎

名称 高橋鯛五郎 別名
所在地
概要 ”神楽の名手”高橋鯛五郎は、慶応2年(1866)高座郡円蔵(現茅ヶ崎市円蔵)の農家に生まれました。近郷の人から「神楽の鯛(てー)さん」と親しまれ、明治から大正にかけて県下に広く知られていました。全盛時代には当市はもちろん、足柄上・中・下郡一帯、高座郡御所見村(現藤沢市)、寒川町、鎌倉市、藤沢市、横浜市と依頼されればどこでも行きました。当初の出し物は、面をつけた里神楽、神代神楽、軍神楽(戦争もの)でしたが、歌舞伎の流行とともに、面をつけない歌舞伎芝居を演ずるようになりました。十八番は「勧進帳」でした。その他よく使った出し物は「ヤマタノオロチ退治」「三番焸(さんばそう)」「天の岩戸」などでした。鯛五郎が使用したヤマタノオロチの面が、高橋家に家宝として残っています。青く塗られていましたが、今は唇の赤い色だけが鮮やかで、表は茶色になっています。その他、舞台衣装や小道具は早稲田大学の演劇博物館にあります。鯛五郎は昭和31年2月に90歳で死去しました。今は、鯛五郎を知る人がだんだん少なくなっています。[茅ヶ崎ゆかりの人物誌   郷土史学習グループ 一樹会   (根)]
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