ちがさき丸ごと博物館

如来教跡

名称 如来教跡 別名 湘南軒
所在地 十間坂3-10-27付近
概要 十間坂3丁目10番地(もと茅ヶ崎3492番地)一帯に、かって如来教の湘南軒というものがあった。本山は名古屋市熱田区登和山リュウゼンインといい、享和2年(1802)にリュウゼン如来普之が開宗した。平塚市花水海岸菫平という尼寺があり、その末寺で湘南軒といい、亡くなった伊藤礼之(尼)さんが住んでいたが、昭和50年に廃寺となり、今は民家が建つ分譲地となっている。
如来教の創始者は「きの」と云い、宝暦6年(1756)に生まれた。間もなく一家は離散し、きのは各所に奉公し、47才の時に金毘羅大権現が天降ったとして、天地創造の主宰神「如来」の教えを説き始めた。「きの」の呼び名も、如来教を開いてから「慈尊」と信者に言われ、文化年間には「一尊」とも呼ばれ更に「リュウゼン」と改名された。
この如来教がいつ頃茅ヶ崎に入ったか、やや不明であるが、名古屋の御本元によれば「大正初頭より当山別派の一庵としてあったが、昭和22年如来教団の末寺になった」という。
茅ヶ崎町(昭和19年当時)「お経様聴聞禁止」の御通知に際し「当湘南軒では昭和18年10月末日に名古屋地方裁判所の仰せにより、当湘南軒の「お経様」は全部之を名古屋市熱田区旗屋町16鉄地蔵堂に納めました。其故、聴聞は中止している」。この寺院は平屋の家であった。ただ入口に小さな石に湘南軒とほられ、平屋の本堂には仏像が安置されていた。
「50年11月種々の事情により廃寺となり、建物も撤去し、御本尊仏像は当山(名古屋)にて奉拝し自然消滅の様である」という。
[十間坂の郷土史 (十間坂自冶会)   (根)]
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