ちがさき丸ごと博物館

七堂伽藍跡

名称 七堂伽藍跡 別名
所在地 下寺尾(西方)159他
概要 県立茅ヶ崎北陵高校の南側、台地下の民家の脇に「七堂伽藍跡」と刻んだ3メートル余りの石柱碑(昭和32年:1957)が建っています。寺域と推定される辺りは、小出丘陵の西先端部南面で、碑の周辺から相模線にかけての一帯です。小和田の上正寺に伝わる『上正寺略縁起』や『新編相模国風土記稿』小和田村の項などに七堂伽藍の伝承があり、そこでは寺の名を「海円院」とし、上正寺の前身としています。昭和53年を初めとする何回かの発掘調査の結果、瓦破片・土師器・灯明皿などの出土品から古代寺院跡と分かりましたが、どのような性格の寺院だったのかは、まだ分かっていません。碑の座に使われている石も礎石の1つと考えられています。
七堂伽藍とは、いくつかの建物から成る大きな寺院のことをいいます。昔からこの辺りに大きな寺があったという言い伝えがあって、建物の土台にした大きな石(礎石)やかわらのかけらが見つかっています。昭和32年に有志によってこの碑は建てられました。一方、小和田の上正寺に伝わる寺の縁起(由来書)や江戸時代末期にできた『新編相模國風土記稿』という地誌の中には、かつて下寺尾の地に「海円院」という寺があったことが記されています。53年には、市史編さん事業の一環として試掘調査が行われました。その結果、古がわら片をはじめ、灯明皿、花瓶など寺の存在を裏付ける遺物が数多く出土して、この辺りが平安時代ごろの古代寺院の跡であることが明らかとなりました。かわら片の分布範囲から、東西100m以上、南北90m以上に及ぶ寺の区域が推定されています。しかし、それが記録に残る「海円院」であるかどうかは、分かっていません。なお、ここから出土した遺物は、文化資料館に展示されています。
[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  /n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)/n[文献]神奈川県史資料所在目録 茅ヶ崎市史研究3 「神奈川県史」資料編20考古資料 茅ヶ崎市史3(考古・民族編) 1957年(昭和32)『日本考古学年報』5 石野瑛 「茅ヶ崎市下寺尾廃寺」 1987年(昭和63)昭和62年度社教(2次) 1996年(平成8)第7回発表要旨(3次-1、2) 1998年(平成10)第9回発表要旨(下水) 1998年(平成10)平成9年度社教(下水) 1999年(平成11)平成10年度社教度(下水) 2001年(平成13)第12回発表要旨(?期、?期) 2002年(平成14)第13回発表要旨(確認調査、小出川) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(事前調査)][種別]寺院跡・集落址
[立地]台地上と一部沖積地
[範囲]東西380m×南北230m
[分布状況]密
[現況]畑地
[備考]
[遺構]竪穴状遺構、掘立柱建物址、溝状遺構、道路状遺構、井戸、土坑、柱穴
[遺物]布目瓦(重弧文)、土師器、須恵器、かわらけ、陶器、磁器、灰釉陶器、緑釉陶器、縄文土器(黒浜〜諸磯)、弥生土器、石器
[保管場所・責任者]茅ヶ崎市文化財収蔵庫 茅ヶ崎市教育委員会教育長 鶴田桃世(円蔵27) 玉川文化財研究所
[時代]縄文時代、弥生時代、奈良時代、平安時代、中世、近世[]
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