ちがさき丸ごと博物館

茅ヶ崎駅

名称 茅ヶ崎駅 別名
所在地 元町
概要 湘南の人口23万を超える都市茅ヶ崎。その玄関口として1日の乗降客数約11万人を数える茅ヶ崎駅。
1887(明治20)年7月、東海道線の横浜・国府津間が開通し、当初は藤沢・平塚・大磯と、旧宿場ごとに駅を設置する方針が採れ、茅ヶ崎には駅がなかった。茅ヶ崎での駅開設を求める運動が活発になったのは、1895(明治28)年 伊藤里之助茅ヶ崎村長等が起草し願書を地元有志が携えて上京した。駅設置にあたっては鉄道局への用地献納が条件とされており、茅ヶ崎村は村有地の高砂を売った資金で地主へ補償するとともに、一里塚、十間坂、南湖院への道を造った。湘南地方への東海道線開通に遅れる事10年余り、1898(明治31)年6月15日にいよいよ茅ヶ崎駅が開業した。開業当時の茅ヶ崎駅停車列車は上り下り各11本、 新橋からの所要時間は約2時間、3等運賃は37銭(2等はその倍、1等は3倍)であった。また、開業後しばらくの間の1日平均乗車数は、150~200人程度であった。貨物の運輸に利便を与えるものと期待されていた駅が開業すると、実際、駅の取り扱い貨物量は増加していった。茅ヶ崎駅から発送される貨物は甘藷・麦・魚など、外から到着した貨物は肥料・石炭・米などであった。駅の開設が茅ケ崎の地域社会にもたらしたものは、なによりもまず、別荘地や海水浴場としての発展であった。 大正期になると、茅ヶ崎駅に新たな鉄道が登場することになった。1915(大正4)年、伊藤里之助は東海道線茅ヶ崎駅と横浜鉄道(のちの横浜線)橋本を結ぶ鉄道を計画した。
その目的は、茅ヶ崎駅を起点とした相模川流域を東海道線・中央線と結びつける事、そして相模川の砂利運搬であった。茅ヶ崎駅の1日平均乗車数は、大正初期の200人台後半から1920(大正9)年頃には600人台、さらに20年代半ばには1000人を超えるなど、大正期から昭和初期にかけて増加していった。 茅ヶ崎駅南口は、23年7月に開設された。ところが、同年9月1日に関東大震災が発生し、茅ヶ崎駅は大きな打撃を受けることになった。北口駅本屋は倒壊、南口もわずか開設50日ほどで半壊してしまった。東海道線の線路も各所で寸断し、駅構内には機関車が横倒しのまま何日も放置されていた。東海道線東京・茅ヶ崎間は9月12日に復旧したが、馬入川鉄橋は壊滅状態で復旧は容易でなかったが茅ヶ崎駅に架橋材料を集中しながら鉄道省直営で復旧工事が進められ、ようやく翌月下旬にその区間の運転も再開された。 震災後の茅ヶ崎駅の再建事業により、駅施設はさらに拡充していった。1925年11月新たに建築された北口駅本屋が完成し、南口の改築、貨物室・官舎の建築、相模鉄道の本線乗り入れと跨線橋の延長など、各種の改良工事も27(昭和2)年4月までに竣工した。駅員数も、開業当初は、駅長、助役、駅手5名の計7名であったものが、出札掛、貨物掛、運転掛、操車掛、転轍手など各種の担当駅員が配置されるようになり、26年には合計51名になっていた。終戦後の1948(昭和23)年10月、北口駅本屋が新築され,1960年代になると、茅ヶ崎駅の乗降客はますます増加し、北口駅前のロータリー広場はたて続けに2回の回収工事をすることになる。 1985年4月には駅ビル「茅ケ崎ルミネ」(現茅ヶ崎ラスカ)がオープンした、茅ヶ崎の悲願となっていた駅改良事業(新駅舎、南北自由通路)が完成した。1999年駅前広場の拡張、ぺデストリアンデッキの設置、周辺道路の整備が完了し、新たなバスターミナルへと、北口駅前広場は再び姿を変えることになった。
[市史ブックレット⑩  ]
イメージ