ちがさき丸ごと博物館

十二天古墳

名称 十二天古墳 別名
所在地 堤1256
概要 堤貝塚から谷一つ隔てた東側の大地の先端部、妙伝寺から南西方向へ250mほどの雑木林の中に南北に並んだ2基の古墳があります。昭和50年3月に行われた測量と一部分の試掘調査により、当初前方後円墳と思われていた南の1号墳は、外形とすそ部分を巡る溝(周溝)の形(長方形)から前方後円墳であることがわかりました。この形の古墳は県下では少なく、横浜市緑区の稲荷前古墳や海老名市の秋葉山古墳群の中などにその例が知られています。1号墳は南北方向に長軸を持ち、全長30m、幅15mの大きさで、頂部の標高は39.9mです。西側の中程には盗掘の跡と思われるくぼんだ部分があります。一方、北の2号墳は、直径20mの円墳で、頂部の標高は36.9m。県下の円墳としては、比較的大きなほうです。2基の墳丘は北に向かって緩やかに傾斜する尾根状の台地に、自然の地形を利用して、約19mの間隔を置いてつくられています。これらは墳丘の規模からみて、古墳時代後期(6、7世紀)のもので、茅ヶ崎北部を中心とした小さな領域を支配していた有力首長(豪族)の、2世代にわたる墓ではないかと考えられています。
[種別]古墳
[立地]北側に延びる舌状台地のほぼ先端部
[範囲]東西100m×南北150m
[分布状況]台地先端に集中 丘陵を利用 前方後円墳1基 円墳1基
[現況]円墳1基が破壊されている(山道)
[備考]
[遺構]
[遺物]前方後円墳1基 円墳1基
[保管場所・責任者]茅ヶ崎市文化財収蔵庫 茅ヶ崎市教育委員会教育長
[時代]古墳時代[茅ヶ崎市史ブックレット② ちがさき歴史の散歩道  ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見   /n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24/n[文献]1975年(昭和50)昭和49年度茅ヶ崎の社会教育 1975年(昭和50)茅ヶ崎市堤十二天1号墳同2号墳調査報告(庁内印刷) 1981年(昭和56)『茅ヶ崎市文化財資料集』第8集「茅ヶ崎の遺跡」 1982年(昭和57)県埋蔵文化財調査報告24]
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