ちがさき丸ごと博物館

下寺尾寺院跡

名称 下寺尾寺院跡 別名
所在地 下寺尾
概要  下寺尾地区には、平安時代に建立された大規模な寺院が存在したと地元に伝わっていた。下寺尾の「七堂伽藍跡」の碑は昭和32年12月15日に建立された。当時、未調査のままで建碑することについて疑問視する声もあったが、昭和53年7月に市史編纂事業の一環として実施された発掘によって確かな裏付けが得られた。
 発掘は三か所試掘溝と十四か所の試掘坑で考古学者岡本勇の指導のもとに行われた。多数の瓦や灯明皿などが採取され、すでに採取されている若干の礎石とによって寺院址と確認され、その年代は平安時代の中頃以降と判定された。だが年代につては、近年の古代瓦の研究を用いて見直すともっと古い可能性がでてきた。ともあれ寺院の構えは広大であったと考えられ、「七堂伽藍」の名に値すると推定された。この寺の消滅は火災によると伝えられているが、それにまつわる伝説がある。この寺の尼僧が恋こがれた若者に知らせる合図に回廊のに灯した軒灯の火が燃え広がり、ついに全焼してしまった。
 一方、小和田の上正寺(浄土真宗)の寺の謂われを記す縁起には、寺はもと相州高座郡寺尾郷にあった「海円院」が鎌倉時代に現在の池に移ったと記されている。もし、この海円寺と七堂伽藍との関係が究明されたら面白い進展があるかも知れない。[茅ヶ崎市史ブックレット2「ちがさき歴史の散歩道」]
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