ちがさき丸ごと博物館

田植

名称 田植 別名
所在地
概要 今では田植機の導入などに伴い、田植の時期が早くなったが、手植の時代は六月下旬から七月初めまでの間に行なわれた。苗代へ種籾をまいてから四五十日前後で、六月中旬に麦の取入れをすませて田植になった。苗取りから田植終了まで約一週間かかった。田植が何らかの理由で遅れている家があると隣近所や親戚のものが手伝ったり、テマガワリ(労力交換)で行われたりした。当市では早乙女の伝承はなく、苗取りは女が主にし、田植は一家総出で行われていた。昭和20年ごろ(地区によっては関東大震災ごろともいう)まではカニウエといい、一枚の田に何人かが入り、横に一サクずつ植えて後退していた。株間は五寸から七寸ぐらい、サクハバ(畦間)は七、八寸の間隔で家によって違っている。カニウエはその後、後退して植える方法(正状植)に変わった。この方法は田にスジナワなどとよばれる縄を張り、これを基準に植えていくもので、縄に赤い玉をつけて株間を揃えたりもした。苗の大きさは七、八寸ぐらいが一般的であったが、柳島では植えた後に潮をかぶることもあり、一尺ぐらい伸びてから深植えをしたという。円蔵の大土腐など水の多い湿田でも長い苗を植えた。午前中に苗取りをし、パイスケ(女竹で編んだ目の荒い運搬具)などに入れて天秤棒で田に運ぶ。苗は二手分を一把にしてネエバという藁で束ねる。植えるときはネエバをはずすが、この丸い輪の中へ植えるとよくないことが起こるといわれ、植え終わった方にネエバは捨てた。余った苗は田の端にまとめてさし、後に苗が流されたり、浮いてしまったところに植えていた。[茅ヶ崎市史③ 考古・民俗編  (根) ]
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