ちがさき丸ごと博物館

車地蔵

名称 車地蔵 別名
所在地 本村
概要 茅ヶ崎の伝説・昔話/本村街道より、海前寺にいたる道路の左方にある3体の石像中、もっとも古き1体をかくいう。もとは、寺の東側、車地蔵坂を北方に降りて、突当りの畑の隅にあり。このへん一帯は殿山、殿藪などと、となえて、幕府の御料地多く、斧,鉈の入らざること多年、草木うつ蒼として、昼なお暗く、人影まれにして、きわめて寂しきところなりき。今は昔、おかの−あるいは、おかね−となん呼べる眉目うるわしき乙女ありけり。心優しければ意を寄する若者の数ある中に、一人の男彼女と契りしが、その男また仇し女と通じたり。彼女、恨み身に染みて、袂の乾く暇とてなく、小さき胸を痛みおる間、しまいに物狂わしくなりて、ある夜、ひそかに男の家に、火を放ちける。事あらばれて、火あぶりの刑に処せられぬ。たとえ、身は死しても瞋恚(うらみ)の炎消えやらず。怪しきことのみ多かりしかば、人々恐れて、地蔵尊をここに勧請して、彼女の霊を弔えば、その後、怪異のことも止みしとぞ。彼女の刑せられし地を拓きて畑となし、人呼びて獄門畑と称するを、耕する者凶事多きがゆえ、ついに寺に寄付して、今は田となれり。而して、その車地蔵といういわれは、夜な夜な、おこりし叫声(さけびごえ)の車の軋る音に、似たれば、かくなづけしとなり。

[(水越健 『茅ヶ崎郷土史』あしかび叢書3 昭和34年)]
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