ちがさき丸ごと博物館

甘沼村

名称 甘沼村 別名
所在地 甘沼
概要 市内の地図を広げて甘沼の位置を見てみると、市の中央のやや北寄りにあるといえるでしょう。甘沼は、小出地区の丘陵が急な斜面となって南に落ちる傾斜地に位置しています。江戸時代の村の名前でいうと、東と南は赤羽根村、西は香川村、北は堤村と下寺尾村に接していました。『新編相模国風土記稿』には、「戸数は二九、領主は堀氏。戦国時代には小田原北條氏の家臣、近藤孫三郎という者が支配していた。鎮守は八幡社で、曹洞宗の吉祥山玉林寺と真言宗甘沼山成就院の二寺がある」と書かれています。江戸時代末期に描かれたと思われる絵図が残っていますが、これには中央に鎮守の八幡社があり、八幡社を含む村の北側一帯は山林で、松と思われる木立が数十本あります。現地は、斜面とその上の台地にあたるので、現在の湘南カントリークラブゴルフ場とスリーハンドレッドクラブゴルフ場の一部を含む辺りと思われます。また、絵図の村の南側一帯は、大部分が畑で道が縦横に走り、道に沿って草ぶき屋根の民家が点在しています。田んぼは少なく、八幡社のすぐ下辺りから西に方にあるだけです。急な斜面を下りて、傾斜が緩やかになる部分に畑と集落をつくり、神社の下のため池から水を引いて、田んぼをつくっていたことがこの地図から分かります。明治時代初期につくられた『皇国地誌』には、このため池は、昔は村だったとあるので、村の名前の発祥に関係があるのかも知れません。なお、田んぼの大部分は現在の松風台の住宅団地のなかになっていると思われます。絵図には、主要な道が幅広い線で表されています。赤羽根村との境界となる東に延びる道と、玉林寺のわきを北に向かう3本の道が主要道路だったようです。昔は、小出から甘沼を通って茅ヶ崎方面に出るには玉林寺のわきを通る道と、成就院のわきを通る道の2本を使いました。成就院のわきの道は今も昔ながらで、ゴルフ場の中を越えて堤の浄見寺のそばに出ます。一方、玉林寺のわきの道は、県道遠藤・茅ヶ崎線としてすっかり整備されました。この県道から、殿山公園に上る交差点に「大正10年(1921)3月26日 改修工事竣工」と刻まれた記念碑が立っていて、次の句が彫ってあります。 風光る道べの草の何かは嬉しく 玉林寺の坂を上りつめたところは、昔は大変な急坂で難儀をしていたところでしたから、切り通しをつくって道路を改修することは多くの人々の願いでした。句の作者はだれか分かりませんが、この句には、工事が完成した喜びがあふれています。殿山公園や県道水道局甘沼配水池のあるあたりを殿山といいます。トノというのは、棚状の地、段丘、自然堤防、微高地など高まりのある土地と解釈されて、殿山一帯の情景に合っているようです。また、『皇国地誌』には殿山公園を上野山と書いてあります。「ここから一望すれば、東南東に鎌倉山・三浦の崎・龍口山、東南には江ノ島が見え、姥島・平島は手に取るようだ。大島などは遠く海の彼方にあり、西南西には高麗山・馬入川を越えて箱根・足柄の山が並び、富士山がそびえ、雨降山(大山)は西北にあり、長野県の駒ヶ岳は北々西の雲の向こうに見える。目を下げれば村々の人家と海岸の松林が散在し、まことに眺めが良い」とあります。
[文化資料館ブックレット2  ちがさき村ごと歴史散歩 (根) ]
イメージ