ちがさき丸ごと博物館

円蔵

名称 円蔵 別名
所在地
概要 茅ヶ崎駅から相模線で北茅ヶ崎駅を過ぎると、間もなく進行方向の右手に鉄筋コンクリートのアパート群が見える。このあたり一帯を円蔵と言い、江戸時代の円蔵村の跡だ。アパート群は、昭和43年に出来た鶴が台団地で、約70棟に、現在2580世帯ほどが入居している。団地のある所の小字を大土腐(オオドブ)、生慶田(ショウケイダ)という。昔は水田だった。古老の話では、この水田は入ると太ももまでぬかってしまうフカンボ(湿田)だったそうだ。オオドブという地名もそのような事から付けられたかもしれない。団地は入居が始まって16年たち、今は樹木も大きく育って緑の多い団地となった。円蔵には御屋敷(おやしき)という場所がある。鎮守、神明神社のまわりを言い、懐島の所で紹介した懐島景義(ふところじまかげよし)の館があった所と言われている。景義は、頼朝の、治承4年(1180)伊豆での旗揚げ以来の家来である。弟景親とは悲劇の別れを遂げたが、承元4年(1210)この屋敷で息をひきとった。そのとき景義は80歳を越す老人だったと言われている。「新編相模国風土記稿」には屋敷の広さ約7000坪とある。神明神社は景義の館の守り神だったという話もある。また、近くに近藤屋敷、岩見屋敷などの地名があり、それらは景義の家来の人たちの屋敷跡だといわれている。
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