ちがさき丸ごと博物館

大岡一族の墓所(浄見寺)

名称 大岡一族の墓所(浄見寺) 別名
所在地 堤4317
概要 昭和36年2月14日、茅ヶ崎市史跡指定。浄見寺の山門を入って、左側の階段を登ると、大岡家一族の墓地があります。大岡氏の本国は三河(今の愛知県)です。茅ヶ崎とのつながりは、徳川家康に仕えていた大岡家2代目の忠政が関東に移った後、天正19年(1591)に当時の相模国高座郡堤村380石を知行地として与えられたことに始まります。そして、慶長16年(1611)、忠政は先に亡くなった父忠勝、兄忠祐、忠次のめい福を祈って堤に菩提寺を建てました。これが浄土宗の窓月山浄見寺です。窓月山という山号は忠勝の法名「大綱院殿忠誉窓月浄見大居士」からつけられました。本国に葬ってあった父忠勝を浄見寺の墓地に改葬し、以後この墓地が大岡家代々の葬地となりました。忠政からの系譜をたどってみると、忠政には忠俊、忠行、忠世、忠吉の4人の男子がありました。長男の忠俊は早世し、次男忠行が堤村の領主としての家督を継ぎました。三男忠世は慶長年間(1596〜1615)に父の所領の中から大曲村(現在の寒川町内)を、また四男忠吉は慶長8年(1603)に高田村(現在の高田)分与され、それぞれ分家しました。このようにして忠政から3つの大岡家ができました。堤村を領した大岡家がいわば本家筋ですが、この流れは10代ほどで絶えたようです。高田村を領した家柄も、今に続いているかどうかは分かりません。大曲村の大岡家は今日に続いていて、今のご当主は14代目を数えます。大岡裁きの話や江戸町奉行として有名な大岡越前守忠相は大曲村大岡家の5代目です。忠相は高田の大岡家に生まれたのですが、忠世の子忠真の養子となり大曲村大岡家に入りました。現在、浄見寺のこの墓地には、初代忠勝や大曲村大岡家13代忠綱の墓など一族の墓石が約60基並んでいますが、今の配置は昭和35年に東京三田の功運寺から12基を移したときに並べかえられたと伝えられています。なお、毎年4月に行われる大岡越前祭は、大岡越前守忠相の遺徳をしのんで始められたものです
浄見寺は江戸時代の名奉行として今に知られている大岡越前守忠相を出した大岡家の累世の菩提寺です。元和元年(1615)にこの寺に改葬された初代忠勝の墓石をはじめとして、十三代まで一族累代の墓碑58基が整然と並んでいます。この中に五代目越前守忠相の墓もあって、その墓だけが石の柵に囲まれています。忠相は八代将軍吉宗の時、江戸の町奉行に抜てきされました。江戸に防火のための町火消を組織したり、目安箱を設置したり、飢饉対策としてサツマ芋の栽培を奨励したり、数々の業績を残しました。 (根)[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  (根)]
イメージ