ちがさき丸ごと博物館

かっぱどっくり

名称 かっぱどっくり 別名
所在地 西久保
概要 間門に、酒の好きな馬力引きがいまして、頼まれて荷物を運んだりする人ですね。夕方仕事が終わって、間門川で馬を洗っていたら、そこに大きなかっぱが出てきて、そして、馬力引きのおじさんが(かっぱに)道でもおしえてやったか、泊めてやったかっていうんですね。それで、お礼に一升徳利を、記念においておくから、「お酒がなくなってもけっして、瓶のおしりをたたいちゃいけない。」っていったんですって。そしてある日、毎晩楽しくいただいていて、出なくなっちゃって、さみしくなったので、瓶のおしりをポンポン、とたたいていたら出なくなっちゃった、とかってね。東京からお客がくると、父親が見に連れていきましたよ。私は、そばまで行ったんですけど、恐くて帰ってきちゃったんですよ。かっぱどっくりは、馬のしりおだまを抜くというので、こわかったんですよ。それが、しばらくその家にあったんです。土でできていて口が少しかけていました。馬のしりおだまを抜くというのは、川とかっぱとちなんで、悪いものでもいたのかしら。子どものころ、泳ぎました。瀬戸物があったりしました。今、片葉の葦が生えています。(西久保 内田カツさん 明治28年生 昭和52年12月) (片葉の葦は)西北の隅、字赤池、小出川の隅にあり。巾六尺長さ二十間の池に生ず。昔ありけり(歳月不詳)。本村に、三堀五郎左右衛門の祖先、かって馬を、小出川に洗い帰り、馬屋におさめんとす。馬、躑躅に(驚き暴れるので見れば)たまたまかたわらに、かっぱのあるあり。里人、集り来り。その罪を鳴し、まさにこれを殺さんとす。かっぱ、叩頭、合掌、泣謝していわく。「以後、必ず人を害せず。願くばゆるせ。」と、五郎左右衛門、哀憐、諾して里人に助命をこい、かつ、ためしていわく。「なんじ、言を食されば、それ誓証せよ。」と、かっぱただただ、敬答していわく。「かの河頭の葦の葉、片するを見るべし。」と、いいおわって去る。今、よってその言のごとし。その明旦(あくるあさ)、釜の上に酒一瓶、すずき二頭あり。家をあげてこれを怪しむ。すなわち夜、五郎左右衛門夢みらく。かっぱ来りて告げていわく。「奉呈する一瓶の酒、酌してわずかに残さば、自ら満ちて、君の修身、かくのごし。」はたしてその言のごとくなりしと伝う。その瓶、量三合ばかり、高さおよそ七寸・底四寸あまり。古色あいすべし。おしむべし、口頭かけたり。天保元年庚寅(1830)十一月徳川氏の閣老なにがし、これを見、その陶質、分明ならざるをもって陶工をめして問う。衆工知るものなきより、ついにその口のすでに、少し欠あるを、再び欠いてその質を、こころみしになお分明ならざりしと。すなわち賞するに、一巾及び黄白(お金)五円をもってす、といえり。(『皇国地誌草稿』明治12年 西久保村) 茅ヶ崎町字西久保、三堀啓助氏の所蔵。祖先五郎左右衛門が、酒をこのめる父に,孝養をつくしたる記念品なりという。また一説には、一日暮色そう然たるころ、間門川にて馬に、飲かいいたるものありしに、こつ然かっぱがあらわれ、馬のでん部をねろうた。馬主、驚きかつ怒り、これをとらえんとした。会々三々五々、家路につくものこれを見て、力をあわせて、ようやくとらえ、まさにこれを、ほうむらんとす。かっぱは、双手を合わせ、頭を垂れて助命を乞う。五郎左右衛門これを見て、測隠の情、禁じがたく、衆に乞うて放ちやる。夜半、人静まりて、ひそかに五郎左右衛門を訪うものあり。見れば異様の怪物なり。叩頭していわく。「余はさきに馬を、害せんとしたるかっぱなり。君がため、幸に万死の罪をのがる。いささかこれに報いん。」と、徳利を呈しかついわく。「この徳利、天の美禄をはらむること無尽、百年涸渇のうれいなし。しかれども、もし、いったん尻を打たば一滴をも得ることなく、芳醇の香、またついにきくべからす。乞う疑うことなかれ。」と、九拝して去れりという。(鶴嶺小学校編『茅ヶ崎町鶴嶺郷土誌』昭和3年 資料館叢書2 昭和51年3月刊)

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