ちがさき丸ごと博物館

仮名垣魯文

名称 仮名垣魯文 別名
所在地 萩園
概要 仮名垣魯文(1829〜94)は、本名を野崎文蔵といい、萩園村出身の魚屋、野崎佐吉の長男として江戸で生まれ、明治27年(1894)東京の自宅で死去しました。一家の生活は楽ではなく、幼いころ鳥羽屋(酒屋)へ奉公に出されました。仕事の合間に古本等をむさぼり読んでいたと伝えられ、成長するに及んで当時の文人たちと付き合うようになりました。そして、花笠文京の弟子になってから「魯文」の名を使うようになりました。
明治時代にかけて『安愚楽鍋』などの滑稽本を執筆したり、『仮名読新聞』を創刊したりして名をなした戯作者(大衆小説家)で、ジャーナリストでもありました。彼の戯名の「仮名垣」の由来は、初代柳亭種彦の著作「当歳積雪白標紙(ことしもまたつもるゆきのしらびょうし)」に登場する「赤本入道仮名書」という僧侶の顔が魯文に大変よく似ていたことによるものだそうです。
三島神社の鳥居の右手、カヤの木の脇に、「訪ふ人も あらしの庭の 秋去りて 春の日脚の 時にあふかな 萩園野崎氏の末 仮名垣魯文」とある碑(昭和39年1964)が立っています。





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