ちがさき丸ごと博物館

旧寛永寺石燈籠

名称 旧寛永寺石燈籠 別名
所在地 小和田・茅ヶ崎1丁目(市役所前庭)
概要 昭和49年1月23日、市重要カ化財指定。東京・上野にある寛永寺は、江戸時代初期に徳川家の菩提寺(ぼだいじ)として建てられた天台宗の寺院で、江戸時代には徳川幕府の権力のもとに大きく力を伸ばしました。ここには徳川家歴代将軍の墓があり、諸国の大名はその供養のために大きな石燈籠をたくさん寄進し、最も多いときは数百基があったといわれています。明治維新の折にがは、彰義隊(しょうぎたい)この寛永寺を拠点とし官軍の攻撃を受け、また関東大震災や第2次大戦の空襲などを経て、多くのものが崩壊しました。戦後になると、全国から寛永寺の復興に手を差し延べた人々へこれらの石燈籠が贈られ、大八木家(市内浜竹)にも石燈籠が運ばれました。その中から1基は小和田の上正寺へ、もう1基は市役所へ寄贈があり、現在のように建立されています。この石燈籠は延宝9年(1681)のものが三基、宝永6年(1709)のものが1基、天明6年(1786)のものが4基あり、それぞれ4代将軍家綱、5代将軍綱吉、10代将軍家治に奉献されたものです。最近では石燈籠は庭の飾りとして、日本庭園には欠かせないものですが、もともとは神や仏に浄(きよ)い火を供えたことが始まりで、宗教的な儀式の折に用いられるものでした。燈籠の火をともす部分は「火袋(ひぶくろ)」と呼び、炎が見えるように窓が開けてあり、この火袋を覆う屋根のような部分を「笠(かさ)」といい、作られた年号や、だれのためにつくったものかなどの銘文が彫られています。寛永寺の石燈籠では、笠についている「蕨手(わらびて)」という飾りが大きく反り返っていて、江戸時代の特色を出しています。また、笠の上には「宝珠(ほうじゅ)」という球形の石、「中台」という火袋をのせている台があり、それら全体を「竿(さお)」と呼ぶ円柱が支えています。この竿が火袋と同じくらいに太いことも、時代的な特徴です
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