ちがさき丸ごと博物館

小出へ通じる道

名称 小出へ通じる道 別名
所在地 茅ケ崎・本村・高田・甘沼・堤・小出
概要 本市北部の丘陵を小出地区と呼びます。ここは昭和30年(1955年)まで、小出村という茅ヶ崎市とは別の自治体でした。小出村は、江戸時代の芹沢、堤、下寺尾、行谷、遠藤の5村が、明治22年(1889年)に合併してできたもので、小出地区という呼び名はその村の名前に基づいています。現在、小出小学校などがあるところを二本松といいます。ここに今の位置とは違いますが、小出村の役場が設けられ、やがて小学校や駐在所、郵便局がつくられ、村の中心となっていきました。小出村ができたころ、村人たちは日常の買い物などは藤沢方面に出ていましたが、明治31年(1898年)に茅ヶ崎駅ができてから、道のりの近い茅ヶ崎方面へ行く人も増えてきました。小出から茅ヶ崎に出るには、二本松から甘沼の玉林寺わきの坂道を下る道、堤の浄見寺横から甘沼の成就院わきに出る道、下寺尾から香川を抜ける道がありました。大正時代の末、本村に住んでいた小出小学校長の石井梅吉さんは、自転車で玉林寺わきの道を越えて学校まで通うのがとても大変だったそうで、そのころの様子は『廣瀬善治翁略年譜』には「二本松より、曲がり曲がった急坂道、上るには一汗絞り、一応平らのところを出て、長谷より玉林寺坂にかかり、雨水に流されわずかの距離がウナギのウロのようなたんぼ道を通って茅ヶ崎駅へ」と記されています。農作物を出荷するにも不自由なことから、道路整備が村を挙げての願いとなりました。そのことを同書には「自動車の通る道はぜんぜん無く、いわゆる八方ふさがりといった状態で(略)村人は何とか県会議員の1人でも出して早く経済文化に恵まれない窮状より脱出しなければならない」と続けています。そこで小出村長や村会議員を歴任していた堤の廣瀬善治さん(1880年〜1962年)を県会議員に選出して道路整備の運動にあたりました。このかいがあってか、昭和2年(1927年)5月、県道茅ヶ崎菖蒲沢線が開通したと同書に記載されています。この道は、二本松から七曲がりの坂を下り、堤坂下の交差点を通過し、玉林寺のわきの長い坂道を下って甘沼、高田、本村を過ぎ、国道1号の一里塚のそばに出る道で、改修前の旧道はこの道に沿って所々残っています。玉林寺坂の工事は難工事だったらしく、大正10年(1921年)竣工の記念碑があり、碑面の 風光る道べの草の何かは嬉しく という句が工事完成の喜びを語っています。また、小出村の発展に尽くした廣瀬善治さんの記念碑も二本松の県道沿いに立っています。
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