ちがさき丸ごと博物館

堤貝塚

名称 堤貝塚 別名
所在地 堤2719-2
概要 遺跡保護 見学可 説明板あり 県指定史跡/小出地区が都市資源/市北部にある堤貝塚は、縄文時代後期(3500〜4000年前)の集落(ムラ)跡から発見されたもので、県道遠藤茅ヶ崎線(通称小出県道)の長谷戸バス停から北東に5分ほど坂を上った高台にあります。貝塚は、その名のとおり、中身を食べた後に捨てられた貝殻が積もったものです。そこには貝殻だけではなく、さまざまな食べ物の残りかす(獣や魚類の骨など)や土器・石器なども捨てられており、当時の人々の生活や自然環境をうかがい知ることのできるタイムカプセルといえます。堤貝塚は、テニスコートになっている平坦部を挟んで東西両斜面に残っています。西貝塚は、平坦部から斜面にかけてあり、何度かの調査で南北35m、東西10mほどの広がりが推定されています。また、貝殻の層の下からは、大きな石で囲った炉のある竪穴住居跡がみつかっています。現状は雑木林で、その範囲がフェンスで囲まれていますが、道路の説明板がなければ、外見からはそこが貝塚であることがよくわかりません。縄文時代、相模湾沿岸にいくつかの貝塚がつくられましたが、今日まで残っているのは少なく、堤貝塚は貴重なその1つです。こうした意味から、1992年の2月14日付けで、堤貝塚の西側斜面の一部、約500㎡が、県の指定史跡となりました。
 堤貝塚は、小出川支流である駒寄川の上流に位置し、標高30数メートルの台地に立地する縄文時代後期(約3500年前)の遺跡です。1938年より9回の調査が行われ、台地の東西の縁辺部と斜面に貝塚が残されていることがわかりました。貝塚は沿岸の砂底に生息するダンベイキサゴ、チョウセンハマグリが主なもので、駒寄川や小出川を下って海へ出て採集したと思われます。相模湾沿岸部に残された貝塚のなかでは規模が大きく、保存状態も良いことから、1992年に西貝塚の一部が県指定史跡になりました。竪穴住居址は平坦部にも確認されていますが、斜面部からは石囲い炉をもつ竪穴住居址が発見されました。貝塚からはカツオ、マダイのほかウツボなどの魚骨、鹿角製の釣針や銛(もり)、魚網に使ったと思われる石錘、土器片錘や軽石製の浮きも出土して、相模湾で漁をしたと思われます。道具として使われたハマグリ製の貝刃も出土しました。また、シカ、イノシシなどの獣骨も出土して、当時の環境がわかります。イヌは猟犬として飼われていたようです。また、サトウガイで作られた貝輪や、牙玉などの装身具も出土するなど、貝塚は多くの情報を伝えてくれます。土器は、器高約50/平成4年2月14日、県指定史跡。堤貝塚は、相模湾沿岸に残る数少ない縄文時代の貝塚で、後期(およそ3500年〜4000年前)の集落址に伴うものです。規模も大きく,保存状態も良好で,当時の生活を知る上で極めて貴重な遺跡です。貝塚は、標高30〜40メートルの舌状台地の東西両斜面に残されており、指定地はその西側部分の一部、500平方メートルです。東側の貝塚は台地のへりに接した斜面に残されたもので、昭和13、14年の調査時に縄文時代後期の土器、鹿角製釣り針、鯨骨製品などが出土しています。また、貝層の下には竪穴式住居を埋めるようしてつくられたものと考えられています。西側の貝塚はこれと相対する位置にあり、台地の平坦部から斜面にかけて残っています。貝塚の平坦部の一部が昭和34年と37年に調査され、台地の中央の東寄りの所から、縄文時代後期に属する竪穴式住居跡1基が発見されました。また、昭和54年の調査では、西斜面の貝層下から大形の石囲い炉や竪穴式住居跡が、さらに57年には西側道路下にも貝層が確認されています。貝塚をつくっているのは、大部分がダンベイキシャゴという巻貝で、ほかにハマグリ、バイ、ツメタガイなどです。そのほかには魚骨(マダイ、カツオなど)、獣骨片(イノシシ、ニホンジカ、イヌ、サルなど)が見つかっています。土器は深鉢形や注口形など数個の完成品を除いて、破片がおよそ10000点に及びました。石器は多くありませんが、石斧(せきふ)、石錘(せきすい)、磨石(すりいし)、石皿などがあります。また、鹿角製の銛(もり)、釣り針も出ました。このほか50点を超す土錘が発見されています。これら遺物から、この貝塚を残した人々が大きく水産物にその生活を依存していたことがうかがえます。現在ここは海岸線から4.8キロも離れていますが、当時はすぐ目の前に海が広がっており、そこで海の幸をとっていたのでしょう。この貝塚からの出土遺物と貝層のはぎ取りが、文化資料館に展示されています
[種別]貝塚・集落跡・遺物散布地
[立地]北へ突出した舌状台地上 東と西のくびれ部 両側に貝塚あり、台地上には竪穴住居址が確認されている
[範囲]東西250m×南北500m
[分布状況]貝塚の北方に拡がる台地上には、縄文土器等が散布している
[現況]畑地
[備考]
[遺構]隅丸方形の住居址1軒(堀之内式)←台地上 貝塚←東と西のくびれ部両側
[遺物]縄文土器(堀之内 加曽利B)、朝顔型把手付土器→茅ヶ崎市文化資料館に展示 土師器
[保管場所・責任者]茅ヶ崎市文化財収蔵庫 茅ヶ崎市教育委員会教育長
[時代]縄文時代(中・後期)、奈良時代、平安時代[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見 ) 茅ヶ崎市史ブックレット② ちがさき歴史の散歩道  [文献]茅ヶ崎市文化財資料集第2号 1941年 赤星直忠「神奈川県高座郡小出村堤貝塚」『考古学』 1983年 昭和57年度社会教育(トレンチ調査) 2000年(平成12)第11回発表要旨(開発調査) 2001年(平成13)平成12年度社会教育(開発調査)]
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