ちがさき丸ごと博物館

地神塔

名称 地神塔 別名
所在地
概要 自然界の天や地を神霊とする信仰があります。天神に対する地神は大地すなわち土の神で、いろいろな形で表されます。一般に「地神塔」と呼ばれるのもは、農村社会につくられた地神講によって多く建てられました。春秋の彼岸に一番近い戊(つちのえ)の日を社日といいます。この日、地神講では地神を祭りました。作物の豊作を祈り会食をして過ごしましたが、市内ではほとんど行われなくなりました。市内には、6基の地神塔があります。赤羽根の西光寺にあるものは文化6年(1809)の建立で市内でもっとも古く、正面に単身像が浮き彫りにされ、側面に「奉地神并庚申供養/赤羽根村講中」と彫られています。像はその姿から堅牢(けんろう)地神(じじん)と思われます。このように像を彫る地神塔は珍しいものです。文字で「地神塔」と刻まれたものは、高田の熊野神社に高田村講中が建てた嘉永4年(1851)の銘があるものと、堤の皆楽荘にある明治3年(1870)の銘があるものです。皆楽荘のものは小さな自然石で、「願主石井弥右衛門」とみえ、個人が建てたもののようです。「堅牢地神」と神名を彫ったものは3基あります。芹沢の蓮妙寺から少し離れた畑の土手にあるものは、明治5年(1872)建立で、「妙法堅牢地神」と彫られています。小和田の熊野神社境内のものは、明治8年(1875)小和田村と菱沼村の氏子中建立で、「弁才天」「堅牢地神」と二神名が並べて彫られています。弁才天は水の功徳、特に農業に欠かせないものとして信仰があり、水と土への感謝が込められているのでしょうか。菱沼の八王子神社のものは「賢(=堅)牢地神塔」とある自然石で、菱沼村世話人6人の名が見え、明治22年(1889)の建立です。堅牢地神は密教の十二天の中で天を象徴する梵天に対比される地天であるとされ、女性神で、多くは盛花器を捧持(ほうじ)する姿だといいます。また地鎮祭の本尊ともいいます。
[茅ヶ崎市公式ホームページから    (根) ]
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