ちがさき丸ごと博物館

十間坂

名称 十間坂 別名
所在地 十間坂
概要 国道1号線沿いにある茅ヶ崎警察署の少し西の、国道の南側一帯をいう。北側の小字は梅田。梅田小学校はこの字名から名付けたものだ。十間坂の読み方は今では「じゅっけんざか」と呼ぶ人が多い。しかし江戸時代の記録には「十景坂」と書いたものもあり、古老の話ではかつて「じっけざか」といったそうである。歴史の中では、戦のあった所として出て来る。十間坂の地名が歴史に現れるのは、室町時代初期の事です。元弘3年(1333)に北条氏とともに鎌倉幕府が滅んだあと、鎌倉には足利氏の足利直義が入り、関東を治めます。しかし鎌倉幕府が滅亡して2年後(建武2年=1335)、北条時行らは幕府再興を目指してもう1度鎌倉に攻め入り、京都にいる足利尊氏に対して陣を敷いた。しかし尊氏の軍は、西から時行を破って進み、箱根、相模川の大合戦の後、8月19日鎌倉に入る。その間の戦場が「太平記」に「片瀬、腰越、十間坂」と出て来る。また別の記録には、18日の相模川の合戦の後、尊氏の軍は「十間酒屋」で夜を迎えたともある。ところが、片瀬、腰越、十間坂では、鎌倉に向う順序が合わないとして、今は、戦のあった十間坂は別のものだとされている。 (根)
[文化資料館ブックレット2  ちがさき村ごと歴史散歩 (根) ]
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