ちがさき丸ごと博物館

住まいと家並みのルーツ

名称 住まいと家並みのルーツ 別名
所在地
概要 現在の住居は、地面より高い位置に床を張った高床構造のものがほとんどです。壁があるので住まいのすべての空間をゆったりと使用することができます。また、四角形を基本とした形が一般的で、平面形も断面形も規則正しい寸法と比率で設計されています。
しかし現在も、砂漠地帯などの遊牧を専業とする人々の住居は、地面を床とする平地式の構造で、円形やだ円形などの平面形が一般的です。このタイプの住居は、移動を前提としているため、革などの強くて軽い素材が上屋に利用されています。日本では、洞くつや岩陰など自然の横穴の利用もありましたが、地面を掘り下げて床とした半地下式の竪穴(たてあな)住居が、住居の歴史の多くを担ってきました。竪穴住居では、地面を数10センチ掘り下げ、その残土を周囲に積み上げて住居の壁が造られました。また、雨水などの浸入を防ぐために、その壁の外に屋根をふきおろしました。そして床のほぼ中央に炉(いろり)を設けました。炉は、暖房・調理・明りの役目を担っていたと考えられます。縄文時代の遺跡では、時期や地域での違いはあるものの、不整の長方形や台形、円形など、さまざまな平面形の竪穴住居が造られてきました。約2000年前(弥生時代)になると、竪穴住居の平面はだ円形か角の丸い方形にほぼ限定されるようになります。このころから主柱が4本ある住居が主体になり、より現在に近い形態に近づいてきました。約1500年前(古墳時代)になると、竪穴住居の平面は整った四角形になります。そして床面に設けられていた炉はなくなり、壁の一部を掘り込んで造ったカマドが出現しました。カマドは、調理の役割を主としたものとなり、住居内に間仕切りも見られるようになりました。住空間の使い方や「火」の役割が、大きく変化したことがうかがえます。残念ながら屋根材は腐食して形を残していませんが、入り母屋か寄棟型でわらぶきの家々が立ち並んでいたと考えられます。西久保の上ノ町遺跡では、古墳時代から平安時代にかけての竪穴住居跡が多数見つかりました。四角い竪穴住居跡群は、ほぼ同じ方向に整然と並び、驚くことに、その方向は調査区外の現在の住居群と一致していました。このことから、現在の家並みや区割りの考え方が、すでに古墳時代にあったことを知ることができます。
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