ちがさき丸ごと博物館

生活道路とそのいわれ

名称 生活道路とそのいわれ 別名
所在地 萩園・浜之郷・今宿
概要 国道1号を今宿から寒川町境に至る萩園通り(八王子道ともいわれ、茅ヶ崎・厚木・八王子を結ぶ)に折れると、「花女郎道」があります。松尾神社の手前を左折して、大きく「く」の字に曲がった道を北に向かい、鶴嶺通りを横断し、萩園の日枝神社東側の共同墓地のわきに出る道をいいます。花女郎道にまつわる伝説を2つ紹介します。昔、花嫁は花女郎と呼ばれていました。花嫁の一行が婚家に着き、花嫁が乗ってきたかごを開けたところ花嫁の頭がありません。道筋を探すと、今宿と辻(萩園)の間の畑の中に花嫁の首が転がっていたといいます。もう1つの伝説は、松尾神社には女の神様が祭られていて、この前を花嫁の一行が通ると、ねたんで縁談を壊したり、結婚しても別れてしまったりしたそうです。そこで、花嫁の行列は本道の萩園通りを通らず、わざわざ脇にある野道の花女郎道を通ることになったのだそうです。萩園通りに出て寒川方面に進むと左側に常顕寺があり、その西裏一帯には江戸時代の萩園の領主、遠山氏の屋敷があったと伝えられ、古くから殿屋敷といわれているところがあります。常顕寺の手前の信号を左折して、最初の角を右折した道幅2mくらいの細い道が「殿屋敷の道」です。この道は、右に左に迷路のようになっていますが、敵の侵入を防ぐためこのように造られたそうです。さらに北へ進みT字路を右折し、萩園通りを横断し、東へ行くと萩園橋があります。橋の手前を右折した通りを「馬かけ道」と呼んでいます。農耕馬を競争させたのでしょうか、村人たちの歓声が聞こえてくるようです。道の端には、馬頭観音の碑があります。その先にある共同墓地の先を右折した道と、真っすぐに南下した道は「茶街道」と呼ばれていました。「道沿いにお茶の木が植えてあり、5月になると葉を摘み、蒸してから手でもみ自家製のお茶を作っていました。」と地元の人は言います。茶街道の先はT字路になり、右折すると萩園通りに出ます。左折すると鶴嶺小学校へ続く道を「学校道」といいます。明治42年(1909年)に今宿の台小学校、円蔵の懐島小学校と浜之郷の高等鶴嶺小学校が合併して茅ヶ崎町立尋常高等鶴嶺小学校が開校しました。それまでは萩園から浜之郷に通じる道はありませんでしたが、地元の人が田んぼを埋めて砂利を運び、人が通れる道を造り上げました。萩園と平太夫新田の子どもたちが学校に通う道となりました。 また小出川には、川船の底板を何枚かつなぎ合わせたもので橋を架けました。この橋は、幅も狭く不安定なため、低学年の子どもは、げたを手に持って渡ったそうです。大正12年(1923年)の関東大震災で橋が落ちるまで、事故がなかったことは驚きです。現在ある浜園橋は、後に新しくできた橋で、浜之郷の「浜」と萩園の「園」にちなんで名づけられたようです。
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