ちがさき丸ごと博物館

大久保遺跡群

名称 大久保遺跡群 別名
所在地 芹沢2788-1ほか、県立茅ヶ崎里山公園西側駐車場付近
概要  平成14年夏から15年3月にかけて、県立茅ヶ崎里山(さとやま)公園建設に関連した市道整備などにともなう大久保(おおくぼ)C遺跡と大久保D遺跡の発掘調査が行われました。調査の結果、縄文時代中期から後期はじめ(4000年前頃)まで数百年間続いた大規模なムラが発見されました。また大久保C遺跡の南斜面では、古墳時代(1300年前頃)の横穴墓(おうけつぼ)が見つかり、大久保横穴群(おうけつぐん)と名付けられました。
これまでに両遺跡とも20軒以上の竪穴(たてあな)住居跡と食料などを保管する穴(貯蔵(ちょぞう)穴(けつ))や墓(はか)と思われる穴(土坑墓(どこうぼ))のほか柱の穴と思われる小穴が多数調査されました。住居は台地の縁辺に輪を描くように配置され、中央の平坦面には集会施設をはじめ貯蔵穴群や墓地などムラ共有の空間が整備されていたようです。このようなムラは環状集落(かんじょうしゅうらく)とよばれ、縄文時代中期に多くみられる大型のムラです。
このムラの竪穴住居には入り口部に甕(かめ)が埋設されているものが多く、ほとんど完全な形の土器も多く掘り出されました。神奈川県をはじめとした南関東の縄文人たちは、出産時の胎盤(たいばん)や乳児の亡骸(なきがら)を納めた甕を住居内に埋め、日々これを踏み歩くことで子供たちの成長を願う「埋甕(うめがめ)」の風習(ふうしゅう)があったと考えられています。このような遺構の存在から、縄文人たちの家族への深い想いを感じることができますが、この精神がムラ人の絆(きずな)を深め、縄文社会の発展を支えたものと考えられます。
 また、数多くの住居跡に囲まれたムラの中央部に設けられた墓地の存在は、このムラが「誕生から死まで」一生を過ごすことのできた拠点(きょてん)のムラだったと考えることができます。 

[茅ヶ崎市公式ホームページより ]
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