ちがさき丸ごと博物館

鶴嶺八幡社参道の松並木

名称 鶴嶺八幡社参道の松並木 別名
所在地 下町屋、浜之郷462
概要 昭和44年(1969)8月15日、市史跡・天然記念物指定。浜之郷の鶴嶺八幡宮は平安末期の創建と伝えられ、当時の懐島郷(ふところじまごう)の鎮守として中心的な存在であったと思われます。江戸時代には周辺七か村(浜之郷・西久保・円蔵・矢畑・下町屋・松尾・茅ヶ崎)の鎮守としてあがめられていました。その参道は、東海道の鳥井戸橋の少し先からほぼ北にまっすぐ拝殿の前まで続いているものと、拝殿の前でこれとT字型に交差して、東西に通っているものがあり、前者は大門、後者は横大門と呼ばれてきました。このような体裁を整えたのは、神社創建当時からなのか、後のことなのか、それはよく分かりません。平成2年、国道1号鳥井戸橋架け替え工事に伴い発掘調査が行われ、木製鳥居基礎部が発見されました。これは現在、文化資料館に展示されています。参道の両側には黒松がたくさん植えられて並木になっています。平成8年の調査では、松以外の樹木も含めて331本(大門両脇)が植わっていました。この並木、いつごろできたのでしょう。慶安3年(1650)に書かれた記録(鶴嶺八幡佐塚両社縁起)には、天正18年(1590)に小田原城が落とされ、後北条氏が滅びると八幡宮の領地であったところは武家の領地となり、荒廃の一途をたどった。これを憂えた八幡宮の別当寺常光院の僧、朝恵は神社の復興を志し、正保年間(1644〜47)に浜之郷の領主山岡氏の助力を得て、本社拝殿を再興した。そして慶安2年には、3代将軍家光より朱印地(将軍の朱印状によって年貢・課役(かえき)の免除を保証された寺社領)7石を認められた。その後に南大門馬場420間(約764メートル)の左右に松を植え、事業を成し終えた、とあります。これが参道に松が植えられた最初で、松並木の始まりだと思われます。そして、松は幾度か植え継がれて、今日に伝えられてきました。
国道1号の鳥井戸橋の辺りに赤い一の鳥居があります。この鳥居をくぐって、真っすぐ北に延びる松並木の道路が鶴嶺八幡社の参道です。参道は、道幅約10メートル、南北約800メートル、道の両側には松並木が続きます。
国道1号の鳥井戸橋の辺りは、茅ヶ崎の名所の1つで、南湖(鳥井戸)の左富士といわれています。国道の南側に左富士の記念碑があり、その反対側に大きな赤い一の鳥居があります。真っすぐ北に延びる松並木の道路が鶴嶺八幡社の参道です。参道は、道幅約10m、南北約800m、道の両側には松並木が続きます。昭和44年(1969年)に、参道が市の史跡に、松並木が市の天然記念物に指定されました。鶴嶺八幡社は、平安時代後期に創建されたと伝えられています。神社の縁起には2つの説があり、江戸時代の『新編相模国風土記稿』に引用されるものは、「昔、浜之郷村にあった勝福寺に、道印法師という僧がいた。法師は、宇佐(大分県)にある寺の僧で、神のお告げによって八幡大菩薩のお姿を持ってきて、寺の守り神として祭ったのが八幡社で、時に長承2年(1133年)のこと」という話です。もう1つは、明治時代の初めの『皇国地誌』にあり、「源頼義が東国の乱を平定するとき、源氏の氏神である京都の石清水八幡を持ってきて、矢畑の本社丘に祭った。それを頼義の子の義家がこの地を通ったとき、現在地に移した」というものです。一の鳥居近くにある民家の庭には弁慶塚[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  (根) 文化資料館ブックレット1  あのみち このみち 歴史みち (根)]
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