ちがさき丸ごと博物館

鉄砲場と鉄砲道の由来

名称 鉄砲場と鉄砲道の由来 別名
所在地 柳島海岸
概要 JR東海道線と海岸線との間を東西に貫く道を一般に「鉄砲道」と呼んでいます。江戸幕府は、享保13年(1728)、南湖から藤沢の片瀬に至る海岸線に鉄砲場を設けました。火砲(大筒)の操作や射撃の訓練が目的でした。現在は、柳島記念館に鉄砲場の複製図が展示してあります。鉄砲道と呼び伝える道筋は、異説もありますが、柳島河岸(浜見平団地の西南の隅)から旧南湖院の北側を通り、南湖下町の住吉神社から六道の辻を中海岸に抜けて、中海岸自治会館前を直進して東海岸から平和学園に至る道筋で、途中の海寄りに旧道が一部残っています。この道を「鉄砲道」と呼ぶいわれは、伊豆の韮山で造った鉄砲を柳島湊に荷揚げして、鉄砲場まで運んだからといわれていますが、このことを証拠だてる文献などは見つかっていません。鉄砲場の中をぬっていた道という意味で、そう呼ばれたと解する方がよいと思われます。
[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  (根) ]
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