ちがさき丸ごと博物館

南湖

名称 南湖 別名
所在地 南湖
概要 南湖は猟師町である。晴れた日には、伊豆の大島が大きく見える。昔から、「大山千軒、須加(すか)千軒、南湖は三百六十軒」と言われ、その混雑した家並みは漁師町特有のものだ。駅に近いから、住む人が急に増えた。小さな路地道が多く、歩いていて、よその庭に入ってしまうこともある。アパートや住宅の間に、今でも農家や網元の屋敷がある。秋にはそれらの庭に高く稲が干される。海岸は遠浅の砂浜海岸で、地引き網が最も盛んな漁法だった。記録には、棒受網(ぼうけあみ)なども見えるが、明治の早いころに新しい網に席を譲った。これらの網では、主にイワシ類を捕った。たくさん捕れると、砂浜に干して、ホシカ(肥料)を作った。大正時代には効率の良い、巾着(きんちゃく)網や定置網が出来て、近代化した。江戸時代は茅ヶ崎村の一部で、その枝郷(えだごう)だった。村の中心の本村(ほんそん)から海の方、南に分かれて出来た郷、南郷(湖)というのがその名の由来と思われる。

十間坂1、2、3・南湖1の東海道沿いは、江戸時代に南湖立場があって、その一部は茶屋町とも呼ばれ茅ヶ崎村の中心でした。本陣(松屋)・脇本陣(江戸屋)もありました。茶屋町の街すじは、元祿から享保のころ(1688〜1735)に形成されたといわれています。松屋では明治8年(1875)に「郵便取扱所」を開業しました。この郵便局が、その後業務内容を広げながら場所も移し、現在は警察署の隣にあります。現郵便局の前には開局百年の記念碑が建てられています。
[資料館叢書11 「南湖郷土誌」 山口金次調査録    (根) ]
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