ちがさき丸ごと博物館

西方遺跡群(丘陵・台地地形)

名称 西方遺跡群(丘陵・台地地形) 別名
所在地 下寺尾
概要 下寺尾の西方遺跡群は、市内北部の標高13メートル前後の低い台地にあります。西方遺跡群には、縄文時代前期(約6000年前)〜中世(約600年前)の人々の生活跡が濃密に残されています。特に弥生時代の中期後半(約2000年前)には、新たな文化を持つ人々がこの地を選び、開拓のムラを築きました。北を小出川、南を駒寄川に挟まれた台地の端に、空濠(からぼり)を巡らせた砦のようなムラを構えました。昭和39年(1964)の貝塚調査で、溝が偶然発見されたことをきっかけに、西方遺跡群の弥生時代中期のムラの研究が始まりました。61年(1986)には、断面がU字形とV字形の溝と竪穴住居跡が発見されました。これらの発見により、2つの形態の溝を周囲に巡らせた「環濠(かんごう)集落」の存在が推定されま30メートルの場所で、断面がU字形とV字形の溝が見つかりました。また14年(2002)には、同高校のグラウンドの調査で、断面がV字形の環濠と36軒の竪穴住居跡が確認されました。
さらに14年と15年(2003)の西片B遺跡の調査で、南縁を巡る環濠が発見され、このムラの全体が明らかになりました。ムラは東西が400メートル、南北は最大240メートルと推定されます。県下では最大級の弥生時代集落であり、注目を集めています。調査された竪穴住居は、ほとんどが火事の被害を受けていて、争乱を繰り返す弥生社会の一面を、このムラも随所に残しています。そして磨製石斧(せきふ)と鉄斧(てっぷ)が出土したことから、旧石器以来の石器時代の終わりと、金属器時代の始まりを担ったムラであることも重要な意味を持ちます。
[百科事典用テキストデーター   (根) ]
イメージ