ちがさき丸ごと博物館

二十三夜塔

名称 二十三夜塔 別名
所在地
概要 市内には「二十三夜」と彫られている供養塔が5基あります。最も古いものは赤羽根の共同墓地にある天保12年(1841)の碑です。同じ赤羽根の薬師堂には天保14年(1843)のもの、円蔵の輪光寺境内には弘化4年(1847)のものがあります。この3基には「二十三夜供養」の文字が見られます。芹沢には安政4年(1857)の碑があり、「二十三秋」と刻まれ、腰掛神社に向かう道の端にあります。もう1基は甘沼の八幡神社境内にあり「廿(にじゅう)三夜塔」と刻まれた明治37年1904)建立のものです。碑の台石に、数人の名前や「講中」「氏子中」などと刻まれているところから、旧暦の二十三夜に当番の家に集まって祭りごとをしていた二十三夜講が碑を建てたことが分かります。二十三夜講では、供え物をして、飲食を共にしながら月の出を待ちました。今は市内にこの行事は残っていませんが、その様子は「柳谷(やと)に学ぶ会」がまとめた『芹沢の柳谷例』で知ることができます。「毎月二十三夜に七、八軒の講中の老若男女・子供(ども)たちも皆よそ行きの着物を着て、その月の宿の家に集まり、酒・煮物などを持ち寄り、食べたり飲んだりして月の出を待った。夜の1時か1時半頃(ころ)になると月が出て足もとが明るくなるので家路についた」とあります。昔は、月の満ち欠けを知って暮らしの暦にしていたので、人々の月への信仰心は厚く、十五夜をはじめ日本各地には十七夜・十九夜を祭る講もありました。二十三夜講は女の人の講だった所もあるようです。精進潔斎をして忌みこもり、神を迎えるという古くからの神事が、かつて市内でも慎み深く行われていたことを、この供養塔は語っています。
[茅ヶ崎市史③ 考古・民俗編  (根) ]
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