ちがさき丸ごと博物館

人間と火の歴史

名称 人間と火の歴史 別名
所在地
概要 火をおこして利用することができる能力は、人類だけのものです。人類は、暖かさや明るさをどんな時でも自分で手に入れられる知恵を持ちました。このことが、他の動物とはっきりと違う発展を遂げた大きな理由の1つです。人類の最初の人々は、旧石器時代人と呼ばれ、世界中に足跡が発見されています。古い石器などとともに、火を使用した跡が見つかっています。日本では、この時代の地層の中で、川原石(かわらいし)を集めた遺構(礫群(れきぐん))と一緒に、焼けた跡や炭粒の集中するところが必ず見つかります。茅ヶ崎周辺では、赤土と呼ばれる関東ローム層がこの時代の地層です。堤と下寺尾の境にある椎ノ木坂(しいのきざか)では、約18000年前の生活跡が見つかりました。発見された石の多くは焼けていました。赤土の上にある黒土層は、縄文時代から現在までの地層です。約10000年間にたい積した地層で、赤く焼け焦げた火の痕跡(こんせき)が至るところで発見されます。住居と炉の歴史 平地の一部でそのまま火をたく「たき火」は、現在でも日常的に行われていますが、これが火を積極的に利用した最初の形と考えられます。その後、人々は自分の住まいに火を取り込むことを考えたようです。そのためには、火が周囲に拡大しないコンパクトな形が必要でした。そこで地面を一定の大きさに掘りくぼめ、石などで囲った「炉(ろ)」が登場しました。炉は、火種の保存や熱効率の向上を助けたと思われます。しかし、簡単な木製の上屋(うわや)を持つ住居に、火災の原因にもなった炉が定着するのは縄文時代の前期(6〜7000年前)になってからです。早期の後半(8000年前ころ)には、深く掘り込んでカマドのようにした「炉穴」が屋外に造られ、調理のために利用されていました。この炉穴(ろあな)の構造は、古代以降のカマドに似た画期的なものでしたが、前期になると、竪穴(たてあな)住居内の炉の定着に合わせるように姿を消しました。甘沼の女子美大跡地の長谷(ながやと)B遺跡や芹沢配水池のある臼久保A遺跡では、炉穴群が発見されています。その後、竪穴住居内に設置された炉は、弥生時代を経て古墳時代前期(1400年前)まで利用されました。縄文時代には、石囲い炉や土器囲い炉などが多く、時期や地域によって変化が見られますが、弥生時代以降は床を掘りくぼめただけの地床炉(ちしょうろ)が一般的になりました。
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