ちがさき丸ごと博物館

浜道(小和田・菱沼地区)

名称 浜道(小和田・菱沼地区) 別名
所在地 小和田・菱沼
概要 戦前まで、小和田地区には東海道を挟むようにして、元船・仁井網・西網・裸網・小網・徳網、新網の7つの網元があり、小和田の浜で地引き網を盛んに行っていました。それぞれの網元は曳子(網を掛けたり、引いたりする漁師)を抱え、漁を行うときは、地域ごとにそれぞれ3本の浜道を通り、浜へと向かいました。網を掛けることを1くら、2くらといい、天候や潮の様子で1日に何回も網をかけました。網元は、捕れた魚をかごに入れててんびん棒で前後に担ぎ売り歩く「ぼてい」(ぼてふり)と呼ばれた商人や、仲買人などに浜で直接売りさばいていました。漁獲が多いイワシは、さばきれないときは浜で干してホシカにし、肥料として農業に利用していました。大漁のときはお稲荷様に供えるため、わらに通した魚を持った曳子が2〜3人の組になり、浜道を駆け足で戻って行きました。その時は「ヨゴウ」とか「カケヨ」といった掛け声をかけながら走って行ったそうで、浜道近くに住んでいる人たちは、この声を聞いて大漁を知ったそうです。このとき供える魚を「カケヨ」と称するのは、「掛魚」が変化したもので、漁で揚がった魚をお稲荷様に奉納するため、魚のエラにわらを通してつるす姿にしたものをいいます。また、網元は、曳子たちの労をねぎらう沖上がりという祝いの席を設けました。地元の人たちは、この浜道を通り、かごを背負って浜に出て、燃料とするための松葉を集めたり、今ではほとんど見掛けなくなった松露(食用キノコ)をたくさん採ったり、葉をゆでて食用とするハマボウフウを摘んでいたそうです。当時、浜には広い砂丘があり、「小和田の海水浴場」と呼ばれていました。波打ち際には、波の打ち寄せや引き具合によって波が沖合まで強く引くところがあり、「おきめ」といわれていました。子どもたちは古老から泳ぐには危険なこの場所を教えてもらったそうです。「おきめ」にはナガラメ(ダンベイキサゴ)という食用の貝が集まっていて、大人たちは胸まで海水につかって金網を引いて採ったそうです。
[文化資料館ブックレット1  あのみち このみち 歴史みち (根)  ]
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