ちがさき丸ごと博物館

伴田の坂

名称 伴田の坂 別名
所在地 南湖4丁目
概要 鉄砲道を西方へ進むと、消防署海岸出張所の先200mほどのところに急坂があります。登りきったところは交差点で、南に下る坂道があります。これらの坂道は、南湖4丁目に位置し、大正・昭和前期の俳優である友田恭助の別荘を囲むようにしてあったことから、「伴田の坂」と呼ばれていました。別荘は恭助の父である実業家の伴田六之助が建てたもので、建築年代などは不明ですが、大正2年(1913年)の横浜貿易新報にはこの別荘があったことが記されています。友田恭助(1899年〜1937年)は本名を伴田五郎といい、東京に生まれました。恭助は13歳の時、近隣に別荘があった土方与志とともに南湖座という少年劇団をつくり、別荘裏の土手を舞台に地元のお年寄りを招いて、公演を行っています。子どものころから演劇に対し、並々ならぬ興味があったことをうかがわせます。大正13年(1924年)、土方与志は築地小劇場を開場しました。恭助はその劇団の運営に参加し、その後、田村秋子と結婚して、夫婦で築地座を結成しました。同劇団は「瀬戸内海の子ら」、翻訳劇「にんじん」などを上演し、演劇の実験室の役割を果たしました。同劇団は、昭和11年(1936年)解散し、恭助は翌12年(1937年)、文学座を結成しましたが、日中戦争に召集され上海で戦死しました。伴田の坂は、大正12年に茅ヶ崎駅南口が開設されると、駅と南湖院を結ぶ道の一部となり、人力車が往来しました。また、子どもたちが茅ヶ崎小学校へ通う通学の坂道でもありました。伴田の坂を登った辺りは、大山、富士、箱根連山などの眺望にすぐれていましたが、現在は昔ほどではなくなりました。別荘があったところも今では住宅地となりましたが、近年までは夫妻が使っていたプールが残っていたので、その当時の様子の一端をしのぶことができました。
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