ちがさき丸ごと博物館

菱沼

名称 菱沼 別名
所在地 菱沼
概要 菱沼1〜3丁目、松林1〜3丁目、小和田3丁目のあたりは、江戸時代に菱沼村であった。小和田村とは隣あっていて、入会地が多い。「新編相模国風土記稿」の小和田村の項にも「地形菱沼村と犬牙(けんが)して分ち難し」とある。隣接する家同士でも菱沼分と小和田分が入り組んでおり、両村の境を一本の線で表すことはできないほどである。地名の由来は、明治初期の記録に、「菱の生えていた沼を開墾したことによる」とか、「小和田村が開拓したあとが、菱形の沼で残っていたのを開発したからだ」と書かれている。南側にある小和田よりも菱沼は土地が低く、湿潤な水田があるので、このような名が付けられたのであろう。国道1号に架かる菱沼歩道橋の辺りは「牡丹餅」(ぼたもち)といわれている。かつて旅人が東海道を歩いて通っていた時代に、ここに旅人相手にぼたもちを売る茶屋が一軒あったからだそうだ。また牡丹餅には紀州徳川家の「七里継立て役所」もあった。これは紀州家の江戸と国元を結ぶ、専用の連絡施設であった。七里ごとの置いたので七里役所といわれて、役人が常駐していた。菱沼の長福寺と小和田の上正寺にこの人たちの過去帳がある。墓石は、昔は「牡丹餅」にあったが国道の拡幅で今は長福寺に移されている。それは古いもので享保2年(1717)から、明治14年に亡くなった人のものまである。紀州出身の人たちだったろうが、一生をここで過したのであろう。
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