ちがさき丸ごと博物館

病院道

名称 病院道 別名 南湖院道
所在地 南湖・十間坂・
概要 約1世紀前の明治32年(1899年)、現在は太陽の郷(老人ホーム)、茅ヶ崎西浜高校、西浜中学校などがある南湖の海岸近くに、結核療養所として南湖院が開院しました。文久元年(1861年)に丹後国京田村(京都府舞鶴市)で生まれた南湖院の創立者・高田畊安は、京都府立医学学校を経て、明治22年(1889年)に東京帝国大学医学部を卒業。その後、29年(1896年)に東京・神田に東洋内科医院を開設し、31年(1898年)に茅ヶ崎駅が開業すると南湖の海岸沿いの土地を購入し、翌年同医院の分院として南湖院を開院しました。茅ヶ崎駅に南口がなかった当時は、駅北口に患者待合所が設けられ、駅を出た患者や見舞客は人力車に乗って南湖院を目指しました。人力車は大踏切(現在のツインウェイヴ)を渡って茅ヶ崎小学校の前を通り、六道の辻へ出ました。そして伴田の坂を上り住吉神社の前を通り抜け、南湖院東門へ到着しました。これが病院道と呼ばれた道です。大正時代になると、見舞客のために小型バスが導入されました。茅ヶ崎駅を出たバスは銀座通り(現在のエメロード茅ヶ崎)から国道1号に合流して西へ向かい、鳥井戸橋の手前を左折、東海道線の踏み切りを渡って住吉神社の横を通り、南湖院へ向かいました。
現在は、通称「海岸通り」といわれています。 [ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  文化資料館ブックレット1  あのみち このみち 歴史みち   ]
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