ちがさき丸ごと博物館

美濃部の坂

名称 美濃部の坂 別名
所在地 中海岸2丁目
概要 鉄砲道を中海岸自治会館から西方へ50mほど進むと、南方へ通じる坂道があります。この坂道は、西側に美濃部達吉、亮吉の居宅があったことから「美濃部の坂」と呼ばれています。美濃部達吉(1873年〜1948年)は、明治から昭和時代にかけての憲法学者です。貴族院議員に勅任されましたが、大正デモクラシーといわれる時代背景の下で、明治憲法の解釈で論争が起こり、達吉は天皇機関説を唱えたため議会から非難を浴び、貴族院議員などの要職を辞職しました。戦後は、憲法改正にも関与しましたが、多くの著作を残し、生涯を終えました。達吉の子、美濃部亮吉(1904年〜1984年)は経済学者で、昭和42年(1967年)に東京都知事となり、「美濃部スマイル」と軽妙な語り口で、都知事の要職を3期12年務めました。その間、老人医療の無料化・公害防止条例の制定などを手掛けました。東京都の財政悪化などで退陣し、参議院議員となった後、生涯を終えました。美濃部達吉、亮吉や家族が過ごした居宅はすでになく、住宅地になっています。地元の人の話によると、この坂道は十間坂方面から茅ヶ崎海岸へ出る近道として利用され、冬は雪が降り積もったこの坂道で、子どもたちがよく雪遊びをしたそうです。
[文化資料館ブックレット1  あのみち このみち 歴史みち (根)  ]
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