ちがさき丸ごと博物館

民俗資料館(旧和田家)

名称 民俗資料館(旧和田家) 別名
所在地 堤3882
概要 昭和57年7月20日 市重要文化財指定。この建物は、江戸時代に萩園村の村役人を勤めた和田家の住宅として5代にわたって使用されたものです。改造が少なく、江戸時代末期の大型民家の姿をよくとどめています。この建物の建築に関する古文書が残っています。それによれば、建てたのは同家11代目の清右衛門という人です。嘉永4年(1851)から材木を集めはじめ、同7年(1854)11月から安政2年(1855)11月にかけて建てられたことがわかっています。記録によると材料のケヤキ、松、カヤは、今の茅ヶ崎市域の村から求めている。杉は津久井町の青野原から、栗は藤野町の牧野から購入している。床柱は大磯町の高麗寺からであった。解体作業中に安政2年3月と墨書された棟札が発見されました。江戸時代、人々は自分の家でも、その大きさを制限されていました。それが幕末になり、幕府の統制がゆるんでくると大型の民家をつくり始めました。しかし、だれもがこのような大きな家に住めたのではありません。主屋だけで約60坪あり、中に入ると20畳程のドマ(土間)があり、使用人用とオトコベヤ(男部屋)がある。反対側には、床の張られたサンカク(三角)、ダイドコロ(台所)、囲炉裏のあるチャノマ(茶の間)、ナガトがある。奥には畳敷きの、6畳のナンド(納戸)6畳のナカノマ(中の間)、10畳のオクナンド(奥納戸)、8畳のオクノマ(奥の間)があり、梯子で上がる屋根裏のある大きな家である。外側にはエンガワ(縁側)やシキダイ(式台)がある。幕末の上級農民の家の様子をよくとどめている貴重な文化財です。
浄見寺の山門の東に民俗資料館旧和田家住宅があり、江戸時代に萩園村の村役人を勤めた和田家の住宅として、安政2年(1855)に建てられ、五代にわたって使用されたもので、寄贈を受け、昭和57年に解体、同60年に現在の地に移築復元されました。ケヤキを主材とし、改造も少なく、江戸時代の大型民家の姿をよく残しています。  
ここでの見どころは、桁行11間・梁間5間半の大型民家であること。建築年代が明確な幕末の民家の特徴を良く備えていること。改造が少なく、よく当初の様子を残していること。良材を用いた質の良い造作であること。普請帳などの資料から建設経緯が明らかであること。と多岐にわたります。   (根)[ちがさき丸ごと博物館ガイドブック(文化財編)  ぶらり散歩 郷土再発見  (根) 茅ヶ崎市史ブックレット⑥ 茅ヶ崎の歴史遺産 (根) ]
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