ちがさき丸ごと博物館

文字の始まりと古代社会(1)

名称 文字の始まりと古代社会(1) 別名
所在地
概要 古事記には、百済王からの贈り物の中に論語などの書物や漢字があったことが記されています。そのため、現代の日本語の基礎となった文字が中国大陸から伝わったのは、4世紀中ごろだとする考えがあります。それ以来、日本独自のひらがななどが新たにつくられ、現在まで使われてきました。しかし、古代では文字の読み書きができる人はごく限られていて、政治を行う役人、寺の僧侶、貴族などが主体であったと考えられます。文字による記録が残されていれば、非常に多くの事柄を知ることができるのですが、現状では一部の中心的な地域にしか見つかっていません。そのため多くの地域では、発掘調査で新発見される文字資料に期待が掛けられています。本市では、奈良時代(8世紀)のものと考えられる木簡(高級だった紙の代わりに板に墨書きしたもの)、奈良時代から平安時代中ごろ(8〜10世紀)にかけての墨書(ぼくしょ)土器・刻書(こくしょ)土器(土器に文字を記したもの)などが発見され、市内では最も古い文字資料となっています。出土木簡から分かったこと 本村4丁目に所在する居村B遺跡では、現在までの4点の木簡が出土しました。1号木簡は、板に「道(みち)」を繰り返して習字したもので。また、2号木簡は仏教の思想である放生を行うことで指示した文書木簡で、裏には「飛鳥部(あすかべ)□(□)豊(とよ)」と「春部足人(かすかべあしひと)」の名が習字されていました。3号木簡には文字は書かれていませんでしたが、物税の荷物の付け札の形をしていました。4号木簡は、桶の底板に「茜桶(あかねおけ)」の文字があるもので、アカネの根を入れる容器として使われた後、その裏に「大斤(だいきん)」や「灰(はい)」などの文字が習字されていました。県内では、奈良時代から平安時代にかけての木簡は、まだ10点も見つかっていません。しかし本市の居村B遺跡では3点以上が出土し、今後も周辺で発見される可能性が高いと考えられます。それまでは、平安時代以前のことを伝える文字資料はほとんどなく、古代社会のことが分かりませんでした。これらの木簡が、同じ遺跡で複数発見されたことは居村B遺跡周辺に字を読み書きすることができる人がいて、公式の文書(木簡)をやりとりしていたことを証明するものです。このことから、本村に古代の役所があったと推定されます。すでにこの地域が奈良時代(8世紀)の律令政治に組み込まれていたことが分かり、重要な資料となりました。
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